Media Loca #42 Frank Bretschneider(ラジオ・インタビュー)

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Photo by Sylvia Steinhäuser

この記事は、2017年8月12日にベルリンのインディペンデント・ラジオ局Reboot FMにて放送されたFrank Bretschneider(フランク・ブレットシュナイダー)とのインタビュー内容を、本人達の許可のもとドイツ語から日本語へと訳したものです。Media LocaはMo Loschelder(モ・ロシェルダー)によって運営されているブッキング・エージェントで、同じ名前を冠したこの番組は彼女が不定期で放送しているものであり、実際の録音は、番組内で再生されたトラックも含め下記Mixcloudにてアーカイブ視聴が出来ます。記事内に記載の各トラックタイトルにそれぞれの再生時間を追記していますので、視聴の際にご参考下さい。


Mo Loschelder(以下、M): こんにちは、Mo Loschelderです。本日のスタジオのゲストはFrank Bretschneiderさんです。Media Locaの番組はReboot FMから、ベルリンでは88,4 MHz、ポツダムでは90,7 MHzで、またはオンラインではreboot.fmにて視聴頂けます。
えー、こんにちはフランク..

Frank Bretschneider(以下、F): こんばんは。いや、どうもこんにちは..笑

M:笑。では、まず初めにこちらの曲を聴きましょうか.. AG Geige(アー・ゲー・ガイゲ)(*1)ですね。

F:はい。

M:ちょっとこのAG Geigeについて簡単に紹介して頂けますか?

F:はい、当時まだ東ドイツの時代に始めたこのバンドが自分の音楽活動のスタートでした。1986年に始めて、1989年にナレパ通りにある立派なスタジオ(*2)でAMIGAレコード(*3)からリリースしたアルバムのレコーディングをする機会に恵まれました。

M:はい。ではこのAMIGAからリリースされたアルバムの作品から、「So sollte es nicht sein(ゾー・ゾルテ・エス・ニヒト・ザイン)」です。

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(01:19 – 03:41) 1.     AG Geige / So sollte es nicht sein / Amiga

M:… So sollte es nicht seinでした。えーと、あなたはこのAG Geigeを..

F:バンドメンバーのJan Kummer(ヤン・クマー)、Ina Kummer(イナ・クマー)と一緒にやっていました。Olaf Bender(オラフ・ベンダー)も後から参加しました。(初期メンバーだった)Torsten Eckhardt(トルステン・エックハルト)がライプチヒへ進学を機に引っ越ししていなくなってしまったので、その後Olaf Benderが代わりに入ったんです。1990年のことだったと思います。まあ、そうやって始まっていったんですけど…最初はいわゆるシュラーガーミュージックのような感じでやり始めて、あとは当時のDo-It-Yourselfの流れとかGeniale Dilletanten(ゲニアーレ・ディレッタンテン)(*4)にも影響を受けました。

M:Geniale Dilletantenといえば、最近ドレスデンで開催された展覧会でライブされてましたよね。

F:はい、Albertinumでやりました。

M:Geniale Dilletantenについては当時から知っていましたか?

F:ええ、もちろん。よくラジオでそういった情報を得ていたものですから..。流れていたアルバムをテープに録音したりしていました。ただラジオでは、西ドイツのGeniale Dilletantenのシーンについてはあまり放送されることはなかったんですよ。むしろ70年代後半から80年代前半にかけて起こっていたイギリスやアメリカの例えばDo-It-Yourselfのシーン、Throbbing GristleやCabaret Voltaireなど、そちらの方に大きく影響を受けました。Geniale Dilletantenの中ではEinstürzende Neubautenはかっこいいなと思っていましたが、その他の例えばNeue Deutsche Welleのシーンについてはそれほど興味を持つことはありませんでした。

M:はい、では次の曲に行きたいと思いますが、あなたが選んだ曲「Ich bin ihr Boy(イッヒ・ビン・イア・ボーイ)」について..

F:ええ、これもAG Geigeですが、これはちょうどベルリンの壁が崩れた後にAMIGAから最初に出したアルバムです。2枚目のアルバムは西ベルリンのZensor(ツェンゾア)レーベルと言う、当時比較的よく知られたアンダーグランド・レーベルから出しました。まあ、アンダーグランドと言っても色んなものを出していましたけど..でも変わった音楽も出していたんですよ。で、ここから2枚目を出した訳です。その曲が Ich bin ihr Boyです。結構色んな要素が入った曲なんですが、変なリズムから始まって..最終的にはほぼポップソングといった感じです。

M:ちなみにどういうきっかけでZensorから出すことになったんですか?バンドは西ベルリンのシーンでも知られるようになったのですか?

F:うーん、まあ少しね。まずは当時MetropolにあったLoftを経営していたMonika Döring(モニカ・デーリング)(*5)がフェスティバルをオーガナイズしていて、僕達を招待しようとしてくれてたんですよ。1988年に彼女がTransmissionenという当時のベルリンでとても大きなフェスを開催していて、89年にもLoftでのイベントとか..でも結局僕達には西側へ行く許可が降りませんでした。でも彼女は当時の東ドイツや東ヨーロッパ、例えばロシアやスロベニアなどの音楽シーンにとても興味があったようで、よくラジオの人達やミュージシャンと一緒に東ベルリンに来ていたんですよ。そして彼らを西ベルリンでの演奏に招待することに意欲的でした。だから僕達ともそんな感じで知り合って..割と早い時期に知り合ったんですよ、1988年だったかな。

M:彼女は東ベルリンに来たんですか?

F:そうそう。東ベルリンまで来たんですよ、箱にいっぱいお土産を詰めて..笑。たくさん入れてきてくれました。シャンパンとか食べ物とか葉っぱとかレコードとか..。そして一緒にパーティーに行ったりしました。

M:何がきっかけで出会ったんですか?

F:ええと、ラジオですね。こういった音楽をよくかけていた人がいて..Lutz Schramm(ルッツ・シュラム)という人がやっていたDT64という番組があったんですが、例えて言うならイギリスのラジオ番組のJohn Peelみたいな感じですかね。その東ドイツ版といったところでしょうか。で、彼はDT64でParocktikumというコーナー枠を持っていて、当時のアンダーグランド音楽とかパンク、東ドイツのインディペンデントシーンで出回っていたテープなどをよくかけていたんですよ。僕は当時小さなカセットレーベルをやっていたので、その番組にデモテープを送ったんです。そしたらとても気に入ってくれて、「今年注目のバンド」みたいな感じで番組でかけてくれたんです。それをMonikaがたまたま聞いて気に入ってくれたという訳です。

M:それで、Monikaのイベントの為にケムニッツからベルリンまで行ったということですか?

F:ライブしに行ったというより、当時ナレパ通りでのレコーディングの予定が毎月入っていたので、東ベルリンへはマメにレコーディングで通っていたんです。あと東ベルリンでのライブは時々ありましたから、そこに彼女が来てくれたりはしていました。

M:はい、それでは「Ich bin ihr Boy」を聴きましょう。そのあとは年代順に追っていきましょうか。

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(09:46 – 12:13) 2.     AG Geige / Ich bin ihr Boy / Zensor

F:はい、これは1990年のリリースでしたね。2枚目でしたから。

M:でも、この後にバンドは解散したんですよね。

F:そう。しばらくはまだやっていたんですけど、ちょうどその頃に壁が崩れて、時代も大きく変わっていっていました。その頃Alfred Hilsberg(アルフレド・ヒルスベルク)のレーベルから3枚目のアルバムを出すチャンスもあったので、一応デモ作りに取り掛かってはいたんですが、結果的にボーカルにやる気がなくなったりして、もうやめようかという流れになったんですよ。それにその頃はテクノ・ムーブメントが起こり始めていた時期でもありましたから、当時の僕の興味はすでにエレクトロニック・ミュージックへと傾いていました。

M:でもAG GeigeはMS20を使っていたというのを読んだんですが..

F:まあね、確かにバンドでも電子楽器は結構使ってはいたんですよ。コンピューターでシーケンスを走らせたりもしていたし..でもそうは言ってもメインはギターとボーカルで、どちらかというとやはりポップというかロックでしたよね。だからまあ、さっきも言ったように、解散は当然の流れだったと言えます。でもスタジオはまだ維持してたんですよ。良い機材もあったので。Olafも一緒に残っていたので、彼といくつか新しいプロジェクトをやったりしました。そうこうしながら僕もレーベルにデモを送ったりしていましたが、なかなか上手くいきませんでした。Olafはその頃ディストリビューターのIndigoで働いていたこともあり、じゃあ自分達でレーベルをやろうじゃないかということになり、raster-musicを始めました。1996年のことでした。

M:その頃はまだケムニッツにいたんですよね?

F:はい、そうですね。1996年でしたから..それでIndigoをディストリビューターとしてレーベルを始めてみたら、最初に割と上手く回って利益を出せました。

M:なるほど。その頃私はHard Waxで働いていて、Strange Musicという部門の担当だったんですけど、その時によくあなた方のリリースを取り扱っていましたよ。
それでは、次はKometの曲ですが…いつからこの名義での活動を?

F:1996年ですね。その年に僕達のraster-musicから初めてリリースをしました。その際にKomet名義で、アルバムのタイトルはSaatでした。その時はWARPにも影響されていて、いわゆるIDMな感じの作品を作っていました。

M:はい、それでは聴きましょうか、Kometの..「Phase」でしたっけ?

F:はい。

komet_saat

(16:00 – 20:46) 3.     Komet / Phase / Raster Music

M:曲はAG Geigeの頃と比べると尺が長くなってきましたよね。ライブもKometとしてやっていたんですか?

F:そうですね、少しづつですが。リリースをしてから比較的早く、なかなか良いレビューが載ったりして..例えばFrontpageとか。あなたも繋がりがあるのではないかと思いますが。

M:笑

F:それからライブに呼ばれるようになりました。例えばケルンのリキッドスカイでライブをしたり..とにかく、ゆっくりとですが動き出していきました。

M:その頃には機材環境に大きな変化はありましたか?新しい機材を取り入れたりとか..

F:そうですね。ライブをし出すようになってからは、ClaviaのNord Modularを使うようになりました。一つは鍵盤付きの物で、もう一つは小さいMicro Modularの、二つ使っていました。Claviaのものは結構色々持っていたんですよ。当時とても気に入っていたんです。機材だらけでしたね。笑。その頃はパフォーマンスにラップトップを使うのはまだ一般的ではなかったので、主に定番のハードシンセやシーケンサーを使っていました。

M:Komet名義では長く活動していたんですか?

F:えーと、Mille Plateaux(ミル・プラトー)から出すまでですね。Mille Plateauxからリリースのオファーをもらった時に、別の名義でやろうかなと思って、自分の本名名義で出すことにしたんです。それまではrasterとかraster-notonからKomet名義で出していて、Mille PlateauxではFrank Bretschneider名義だったんですが、その後はそのまま本名名義を続けることにして、Kometの名義は使わなくなりました。

M:Mille Plateauxではいくつかリリースしたんですよね?

F:はい、合計3枚出しました。そのうちの一枚は12kレーベルをやっているTaylor Deupree(テイラー・デュプリー)と一緒に作りました。

M:リリースを重ねるようになってから何か変化はありましたか?もちろんMille Plateauxでのリリースもそうだと思いますけれど..ケムニッツではどうだったんですか?その時はまだケムニッツに住んでいたんですよね?

F:ええ。僕は2000年にベルリンに引っ越ししたので.. でもケムニッツで活動していたのは僕達だけではないですよ。当時Voxxx(*6)でよくインディペンデントなイベントをやっていたし..あそこにはライブもできるスペースがあって、映画館などもあったんです。で、Carstenもそこに関わっていました。Mille Plateauxがツアーで来た時にもVoxxxでライブをしましたよ。

M:ああ、そこは私もDJしに行ったことがあります。Panasonic(その後のPan Sonic)と一緒に。

F:そう。

M:1998年のことだったんですが、その時私は生まれたばかりの娘を連れてきていて、私がDJしている間娘の父親がバックステージで眠らせていたんですよ。私はPanasonicっぽい、かなりハードな音を出していましたから、娘にイヤホンをさせて..。その頃のことはよく覚えています。
さて、次の曲に行きたいと思いますが..何をかけましょうか。

F:えっと、これ.. そう、これは「Produkt」ですね。当時ベルリンでOlaf BenderとTilo Seidel(ティロ・ザイデル)と一緒にやった共作プロジェクトです。Carstenもちょっと参加してるんですが、これはまだCarstenと一緒にraster-notonを始める前の頃の作品です。方向性としてはダブ、テクノですね。タイトルは「Re-Trip」です。

M:はい、ではどうぞ。

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(26:24 – 30:10) 4.     Produkt / Re-Trip / Raster Music

M:えっと、今話してもらってたんですが、ライブをしていたのはドルトムントではなくてデュッセルドルフのEgo Clubだったんですね。私のとても良い友人のMichaela Odinius(ミヒャエラ・オディニウス)がやっていたイベントなんですが、そう考えるとお互い随分前からいろんな所ですれ違っていたかもしれないですね。

F:うん、というか会った事あったよ!僕達がベルリンで初めてレーベルナイトをKunst und Technik(クンスト・ウント・テヒニーク)でやった時に、あなたもいましたよ。あなたはむしろ僕よりもCarstenと先に知り合いだったと思うし..彼から紹介されたのかどうかよく覚えていないけど、でも会った事があるのは覚えています。その後しばらく長い事会っていなかったけど..。で、そうですね、Michaelaがライブに呼んでくれたりして.. 彼女が企画したEGO Clubのコンピレーションに参加したんですが、そのマスタリングをRobert Henkeがやっていたりして..そんな風にだんだんと色んな人と知り合ったりして、シーンに入っていくようになりました。

M:でもシーンとしては割と小さいほうでしたよね?..個人的な見解では、ですけど。90年代前半というか中頃はまだ..

F:うーん、(こういう音楽をやっている人は)まだ少なかったとは思います。小さいシーンだったといえば確かにそうかもしれないけど..。でもその当時すでに長くシーンにいる人にとってみたら、逆に広すぎてどこから手をつけて良いのかわからないぐらいだったのではないかと思う。例えばMille Plateauxは密かなリリースポリシーがあって、毎月のようにCDやらアルバムやら出していましたから..膨大でしたよ。

M:当時からライブの際に映像も使っていたんですか?

F:最初は無しでやってました。でもAG Geigeでは使っていたんですよ。80年代当時はマルチメディアが発達してきた時期で、ライプチヒでのジャズフェスティバルでLaurie Andersonのフィルムを見たんですよ。音楽に合わせて映像を投影するのに大きなスクリーンを利用していて、且つとてもミニマルでコンセプチュアルなパフォーマンスをしているのを見て影響を受けて、AG Geigeでも映像を使ってみようと思い、スライドやプロジェクションを使ってみたり8mmフィルムとか16mmフィルムもライブで使うようになりました。
でもその後エレクトロニック・ミュージックに移行してからは、(映像を使うのは)止めました。というのは、当初エレクトロニック・ミュージックの利点は、ピアニストやギタリストと違って、そこで演奏されている音楽そのものに集中できると思ったからなんです。でも90年代後半から2000年代前半にかけてラップトップを使ったパフォーマンスが浸透し出すと、すぐに飽きてしまったんですよ。ライブに来るお客さんというのは音楽を聴きに来るというよりはパフォーマンスを見に来てるようなものですから..そういうものですよね。だから僕達もまた映像をライブの要素の一部として使うことにしました。退屈なラップトップだけのライブの代わりとして。笑

M:その当時の映像はどうやって作っていたんですか?

F:一番最初は、映像には確か..Steinbergのプログラムを使っていました。AtomのUwe Schmidt(ウーヴェ・シュミット)は今もそのプログラムを使ってるんですよ。そのプログラムではMIDIを使って、取り込んだ映像ファイルをキーボードでトリガーしてプレイできるんです。CartstenとOlafと一緒にやっていたプロジェクトでSonarフェスティバルでライブをしたんですが、その時に初めて映像を使いました。でもその後は皆それぞれが自分のやり方を見つけていきました。アメリカの映像ソフトウェアで「Videoderics」というのがあって、それでは音楽から映像をトリガーできるんですが、僕はそれを使ったりしていました。まあ、そうやってゆっくりと自分のスタイルを確立していくようになりました。

M:最近のライブでも音楽から映像を操作しているんですか?

F:部分的にはね。この間あなたも見たBerghainでやったライブ、「EXP」のセットでは音のボリュームと周波数の両方に映像が反応できるようにしていたんですが、例えば色んな種類のパターンを作って、周波数ごとにどういった反応をさせるかを設定しているんです。あとはMIDIでもたくさん制御しています。MIDIイベントからトリガーさせたり、オーディオのみからトリガーさせたりMIDIのみからトリガーさせたり..色々な設定を組み合わせて使っています。

M:はい、では次の曲に行きましょうか?

F:はいはい、そうしましょう。じゃあ僕がMille Plateauxから最初にリリースした、Clicks & Cutsのシリーズの曲にしましょうか。

M:はい、では..

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(36:37 – 41:32) 5.     Frank Bretschneider / Kern / Mille Plateaux (Clicks & Cuts)

M:はい..曲の終わりまで聞きましたが、早かったですね。えっと、もう次の曲かけますか?

F:はい、これなんですが、フランクフルトの小さなレーベルWhatnessからのリリースで、Olafur Eliasson(オラファー・エリアッソン)と一緒に出しました。彼は当時アイスランドで撮影した航空写真による作品を出したんですよ。とても綺麗なカタログでした。で、僕は彼のその航空写真に音楽をつけたんです。とてもアブストラクトな作品で、ビートものではないこういうのは初めてだったんですが、サウンドデザインというかサウンド・ストーリーと言った感じの作品です。このアルバムは35曲あって、どの曲も1分ほどの短いものばかりなんですが.. アルバムのタイトルは「Aerial Riverseries」で航空写真の作品です。当時Whatnessレーベルからリリースされたもので、トラックタイトルは特にありません。

M:じゃあ、とりあえずその中から何かかけてもらいましょうか。

F:はい。

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(43:10 – 47:15) 6.     Frank Bretschneider on Olafur Eliasson / Aerial Riversides / Whatness

(急に曲が途切れる)

M:えー、本当はアルバムを一通り順番にかけるつもりだったんですが、毎回スタートボタンを押さないといけない関係でちょっとうまくいきませんでした。という訳で次のアルバムに行きたいと思いますが、次の曲もFrank Bretschneiderとしての..

F:そうですね。これはTaylor Deupreeがやっている12Kレーベルから出した作品です。2つここからリリースしていて、レーベルのコンピレーションにも参加したり、当時からこのレーベルをとても気に入っていました。だから、彼のところからリリースできて嬉しかったです。

M:ちなみに、あなたのようにCDをこうやって丁寧にビニールケースに入れて保管している人は初めて見ました。

F:ああ、これね..。CDは大抵とても綺麗にデザインされたものばかりなんですが、ただ僕はこのデジパックが嫌いでね..。10年も経てばボロボロになるでしょう?だから、本当にきちんと保管しようと思ったらこうして..

M:でも本当にすごく綺麗にしてますね!てっきりボロボロになった古いCDを持ってくるのかと思ったら..全然違いました。笑

F:いやいや..。ちゃんと大事にしてますよ。笑

M:はい、では次の曲「Go! Said the Bird」ですが、このタイトルについて何かありますか?

F:えーと、このアルバムの曲のタイトルは全てサイエンス・フィクションからインスピレーションを受けたものにちなんでつけています。

M:サイエンス・フィクションというと?

F:いやあ、もうそれはすっかり忘れてしまったので..。いや、覚えてない訳ではないですけど..ちょっと話せないです。笑

M:わかりました。では「Go! Said the Bird」です。

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(49:16 – 53:36) 7.     Frank Bretschneider / Go! Said the Bird / 12K

M:えー、次の曲「The Eight Day People」はFrank Bretschneiderとしてraster-musicからの..

F:はい、また僕達のレーベルからのものです。

M:で、このアルバムはLupoがマスタリングしたものですね。

F:そうですね。

M:Lupoといえば、Dub Plate Masteringの..マスタリングではよく知られていますね。

F:はい、ベルリンのマスタリング・エンジニアです。

M:この作品について何か話してもらえますか?

F:そうですね、これまでにも色んなマスタリング・エンジニアと仕事してきましたけど、このアルバムでは新しい経験が得られました。Lupoがこの時に提案してくれたのは、コンピューターでデジタル処理した音楽なので、まずコンピューターから直接アナログレコードにカットして、その後再度レコードからCDにマスタリングする手法でした。そうすることによってアナログなタッチが得られると言って..そうしてとても良い感じに仕上げてくれました。音に深みも出たし、立体感も得られて、要はコンピューターだけで作られたデジタルファイルでは出せないものを引き出してくれたんです。非常に良いアイデアでした。

M:はい。ではその仕上がりを聴きましょうか。

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(55:01 – 58:05) 8.     Frank Bretschneider / The Eight Day People / Raster-Noton

M:はい、実はもう番組も終わりに近づいていまして..思ったより時間が早く経ってしまっていました。そんなにたくさん曲かけたり、話したりしていたつもりはなかったんですが..どうしてこんなに時間が経ってしまったのか笑。タイムマシーンでもセットしたのか..

F:セットしたのか..笑 誰にも分かりませんねえ..。笑

M:あなたの最近の作品ももっとかけたいと思っていたんですが。

F:では、raster-noton 20周年ということでSource Bookという大きな本がリリースされたんですが、そこに付録として付いているコンピレーションに提供した一曲です。

raster_sourcebook

(58:48 – 59:40) 9. Frank Bretschneider / Thermik / Raster-Noton

M:はい、ではフランク..とても楽しかったです。

F:こちらこそ..光栄です。笑

M:ようやくあなたを私の(ブッキング・エージェントの)ロスターの一人として迎えることになって、とても嬉しいです。

F:…楽しみにしてます。

M:はい、私も。笑。えー、Reboot FMのMedia Locaより、私Mo LoschelderがFrank Bretschneiderを迎えてお送りしました。では、引き続き「Thermik」です。


Frank Bretschneider

ベルリンを拠点として活動を続ける演奏家 / 作曲家 / 映像作家。1956年生まれ。旧東ドイツのカール・マルクス・シュタット(現在のケムニッツ)出身。精巧なサウンドデザインや複雑に絡み合うリズム構成、且つミニマリストな作風で知られている。繊細且つ細部にこだわったその音楽は、彼の映像作品にも完璧に呼応する形で表現されている。

厳しい検閲下におかれていた当時の東ドイツにおいて、海賊放送によって密かに流されていた反体制側の音楽やビースティ・ボーイズなどを始めとした密輸品のカセットテープなどを通じてこれを吸収。ファイン・アートを学び、またサイエンス・フィクションをテーマとしたラジオ放送や映画にも影響を受け、1984年にテープ・マシンやシンセサイザー、改造したギターなどを用いて演奏を開始。それと同時にヴィジュアル・アートと音楽との相互変換における可能性について探求を深める。

1986年に自身のカセット・レーベル「klangFarBe(クラングファーベ)」を設立すると同時に、ヤン・クマー、イナ・クマー、トルステン・エックハルトと共にバンドAG Geigeを結成。旧東ドイツ地域で成功を収め、東西ドイツ統合後はより国際的な評価を手にする。1993年に解散後はソロ・アーティストとして電子音楽の世界で活動を始め、1995年にオラフ・ベンダーと共にレーベル“Rastermusic”を設立。その後カールステン・ニコライ(Carsten Nicolai / Alva Noto)によるnoton – archiv fur ton und nichttonと合併し、1999年にレーベル名を“raster-noton”として再始動。ブレットシュナイダーはその後自身の音楽作品制作に集中する為にレーベル運営からは手を引いたが、これまでの約20年間に渡り200近いタイトルをリリースし、現在に至るまでエレクトロニック・ミュージックにおいて絶大な影響力を誇るほどに成長したレーベルの活動を、その確かな審美眼によりコアメンバーとして支える重要な役割を担ってきた。2017年5月、raster-notonはカールステン・ニコライによるNOTONとオラフ・ベンダー主導によるrasterの二つのレーベルに20年振りに改めて分裂することを発表。

ブレットシュナイダーの初期の多くのソロ作品はKomet名義で発表されており、一番最初のソロ・アルバム『SAAT』(1996年)以降、12k、Line、Mille Plateaux、Shitkatapultなど多くのレーベルから作品をリリース。Mille Plateauxによる「CLICKS & CUTS」、アルス・エレクトロニカにてゴールデン・ニカを受賞したraster-notonによる「20′ TO 2000」シリーズといった伝説的なコンピレーションにも参加している。

これまでにソロアルバムとしては計14作品を発表。2018年2月16日にshitkatapultより15作目となるアルバム「Lunik」をリリース予定。(2018年1月16日に収録曲のうち2曲がEPとして先行リリース)

frankbretschneider.de

Mo Loschelder

デュッセルドルフ出身、ベルリン在住のブッキング・エージェント/イベント・オーガナイザー/DJ。デュッセルドルフ・アート・アカデミーにて画家のゲルハルト・リヒターの元で学んだ後、90年代初頭にベルリンへと移住すると同時にDJとしての活動も開始。ヴィジュアル・アーティストのDaniel Pflummとテクノ・アーティストのKlaus Kotaiと共にレーベル「Elektro Music Department」を運営し、クラブ「Elektro」や「Panasonic」の経営にも関わった。1994年から4年ほどに渡り、Basic Channelが関わっていることで知られるレコードストア「Hard Wax」にて「Strange Music / Early Electronic」のセクションを担当。その後いくつかのエージェントでの経験を経た後に、2009年に現在のブッキング・エージェントである「Media Loca」を設立。主に実験的なジャンルのアーティストをロスターとし、現在までにJan Jelinek(& Masayoshi Fujita)、Gudrun Gut、Lucrecia Dalt、Kammerflimmer Kollektief、Mika Vainio、Electric Indigo、Charlemagne Palestine、Rafael Anton Irisarriなどを担当している。

また女性アーティストにフォーカスを当てたフェスティバル「Heroines of Sound Festival」のオーガナイザーとしても活動する傍ら、音楽イベント/フェスティバルに付随したトークセッション、パネルディスカッションにも頻繁に参加している。

media-loca.com


(*1) AG Geige(アー・ゲー・ガイゲ) – Frank Bretschneider, Jan Kummer, Ina Kummer, Torsten Eckhardt(後にOlaf Benderが参加)によって1986年に当時のカール・マルクス・シュタット(現ケムニッツ)にて立ち上げられたバンド。1993年に解散。2012年に当時のライブ映像やバンドメンバーによるインタビューをまとめたドキュメンタリー映画「Ein Amateurfilm(アイン・アマテュアフィルム)」(監督:Carsten Gebhardt(カールステン・ゲプハルト))が公開。raster-notonからもDVDが発売されている。

(*2) ナレパ通りのスタジオ – 東ドイツ時代に国営放送局として1945年5月13日から1991年12月31日まで使用された、ベルリンのオーバーシェーネヴァイデ地区ナレパ通りにある施設。現在はFunkhausと呼ばれ、コンサート会場やスタジオ施設として利用されている。2017年には4D Soundシステムを備えた新しい会場兼スタジオMONOMが施設内にオープンした。

(*3) AMIGAレコード – 1947年に俳優であり歌手でもあったエルンスト・ブッシュ(Ernst Busch)により設立されたレコード会社「リート・デア・ツァイト(Lied der Zeit)」を前身とし、その後「人民公社ドイチェ・シャルプラッテン・ベルリン(VEB Deutsche Schallplatten Berlin)」として1954年から1990年まで東ドイツの国営下に置かれた音楽出版社・レコード製造業者。音楽ジャンルによって幾つかのレーベルに分けられており、AMIGAはその中でも主にロックやポップス、ジャズなどをリリースしていた。

(*4) Geniale Dilletanten(ゲニアーレ・ディレッタンテン)– 70年代後半から80年代にかけて、イギリスに続いて西ドイツでも起こったパンク、ダダイストのムーブメント。1981年に西ベルリンのTempodromでGeniale Dilletantenフェスティバルが開催され、Die Tödliche Doris(ディー・テートリッヒェ・ドリス)やEinstürzende Neubauten(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)、Gudrun Gut(グートルン・グート)、Alexander Hacke(アレクサンダー・ハッケ)、Blixa Bargeld(ブリクサ・バーゲルト)、Christiane F.(クリスティアーネ・F)など当時の西ベルリンの実験音楽シーンを代表する多くのアーティストがパフォーマンスを行った。因みに正しいスペルは「Dilettanten」だが、フェスティバルのフライヤーに「Dilletanten」と誤ったスペルで表記されてしまった事をきっかけとして、名付けた本人であるWolfgang Müller(ヴォルフガング・ミュラー)がその後も「ハプニングの痕跡」として敢えて修正せずにその名を使い続けたことにより、そのスペルが定着するようになった。

(*5)Monika Döring(モニカ・デーリング)– 80年代前半に西ベルリンのシェーネベルク地区にあったクラブLoftを立ち上げ、パンクやアバンギャルド、オルタナティブ・バンドなどを中心に80年代当時に活動していた様々なミュージシャンを、有名無名問わず気に入ったバンドを見つける度にイベントに呼ぶなど、当時の西ベルリンのパンクシーンに貢献したオーガナイザーとして知られている。1983年から6年間に述べ500近くのイベントを開催し、Tuxedomoon、Cabaret Voltaire、Sonic Youth、Wire、Cocteau Twins、Diamanda Galas、Nick Cave、Einstürzenden Naubautenなども出演した。80歳を迎えた現在(2017年)も毎週のようにクラブやイベントに足を運んでいる。(参考記事

(*6) Voxxx – ケムニッツにて壁崩壊後の90年代初頭に社団法人のDas Ufer e.V.とOscar e.V.によって共同で始められたイベント施設であり、カールステン・ニコライもその立ち上げに関わった一人である。施設内にはカフェやバー、映画館、スタジオ、ライブスペースが収容されており、当時のケムニッツでのオルタナティブ/クラブカルチャーの中心地となったが、2005年に経済的事情も含めた政治的理由により閉鎖。その後移転を繰り返し、さらに2007年にはVoxxxという名称をテレビ放送局へ譲渡することを余儀なくされる。現在はヴェルトエヒョー(Weltecho)として、移転先にて運営されている。当時のVoxxxに関わった人々のインタビュー映像(当時の施設敷地内にて撮影)。

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